はじめに
「備瀬(びせ)」という名前を、沖縄の直売所や紅芋の品種表示で見かけたことはないでしょうか。同じ名前の集落が本部町(もとぶちょう)にあるため地名と思われがちですが、これはさつまいもの品種名です。しかも、いま沖縄を代表する紅芋の「ちゅら恋紅」や「沖夢紫」は、いずれもこの品種を親としています。本記事では、備瀬がどんな品種なのか、その特徴と歩みを一次情報をもとにわかりやすくご説明したいと思います。
備瀬(びせ)とは?沖縄の在来紅芋のひとつ
備瀬は、沖縄県で古くから栽培されてきた紫肉のさつまいも、いわゆる紅芋(べにいも)の在来品種です(農研機構)。人工的な交配で生み出された品種ではなく、農家の畑で受け継がれてきた在来のいもが集められ、特性調査や現地での試験栽培を経て広まりました。まずは、その姿かたちと名前の由来から見ていきます。
白い皮に濃い紫の中身という組み合わせ
見た目でまず目を引くのは、皮と中身の色の落差です。
皮は白っぽく、切ると中は濃い紫色をしています。いも類振興会の『いも類振興情報』131号によれば、採取当時、沖縄県の農業試験場が保存していた300を超える品種・系統のなかに、白い皮で肉色が濃い紫のいもはなかったと記録されています。
この紫色はアントシアニンという天然の色素によるものです。紫芋が紫色になる仕組みもご覧ください。
名前は本部町備瀬の集落名から
品種名は、採取された土地の地名がそのまま使われたものです。
沖縄本島北部の本部町にある備瀬地区が、その採取地にあたります。同じ地区にはフクギ並木で知られる観光スポットもあり、検索すると景観の情報が先に出てくることがありますが、名前の由来は「その土地で採られたいもだから」というシンプルなものです。
在来のいもが沖縄の主力になるまで
備瀬は、最初から産地の中心にいた品種ではありません。小さな畑で受け継がれていたいもが見いだされ、村ぐるみのブランドを支え、やがて県の奨励品種にまでなりました。その歩みを追っていきます。
1980年代前半、小さな畑から採取された
きっかけは、県内のかんしょ栽培を見て回る調査でした。
同誌131号によると、1980年代前半に県内各地を回ったところ、農業試験場にはない多様な茎葉のいもが、とくに家庭菜園のような小さな畑で見つかりました。特性を調べるなかで本部町備瀬地区のものが「備瀬」と名づけられ、1983年の採取と記録されています。
ルーツについても後年の聞き取りが残っています。備瀬出身で那覇市に住む方が、久米島に嫁いだ縁で義姉からいもを譲り受け、里帰りの際に実家へ渡したとされます(年代は不明)。久米島では「開墾いも」と呼ばれていたそうです。
2代目の「読谷紅いも」として広がった
その名を一気に広めたのは、読谷村(よみたんそん)でした。
読谷村は1970年代後半から「宮農36号」を使って紅芋のむらおこしに取り組み、「読谷紅いも」として地域ブランドを築いていました。ところが宮農36号は、かいよう病(いもの表面がかさぶた状になる病気)の多発で栽培面積を減らしていきます。そこへ試験栽培された備瀬は、同じ症状が見られず収量も高かったため、宮農36号と入れ替わる形で村内に定着します(同誌131号)。
ここでいう「収量が高い」は、当時の宮農36号との比較である点にご注意ください。備瀬はその後、読谷村にとどまらず県内各地へ広がりました。
採取から14年後、1997年に県の奨励品種に
沖縄県の奨励品種に指定されたのは1997年で、採取からおよそ14年を経ています。在来のいもが選抜と現地評価を経て県の奨励品種になるのは珍しく、それだけ現場での評価が積み上がっていたことがうかがえます。この指定は現在も続いており、農林水産省がまとめた令和5年の都道府県別奨励品種にも、沖縄県の食用として備瀬が挙げられています。
白い皮には、畑での意味があった
備瀬の白い皮は、見た目の珍しさだけの特徴ではありませんでした。栽培する側にとっても加工する側にとっても、皮の色は実務に直結する要素だったのです。
害虫の食害を肉眼で見分けやすい
沖縄のさつまいも栽培では、ゾウムシ類が重要な害虫として知られています。
『いも類振興情報』130号は、白い皮色の利点として、ゾウムシ類による食害を肉眼で見分けやすい点を挙げています。皮が濃いいもでは見落としやすい被害の跡も、白い皮なら確認しやすいためです。このゾウムシ類は、沖縄から生のいもを県外へ持ち出せない理由とも深く関わっています。
一方、加工では「色が映えない」とされた
畑での長所も、加工の現場では評価が分かれました。
同誌131号は、「V4」という濃い紫の品種が普及する以前、主に使われていたのは備瀬だったとしたうえで、食味は良いものの色彩がくすんで見た目に映えず、人気もいま一つだったと記しています。その後に広まったV4は生の肉色が濃い紫で色抜けがなく、安定した色のペーストが得られたとされます。色の濃さを求める流れのなかで、主役の座は移りました。
味・食感と、いま語られる「色の薄さ」
備瀬を調べると、「食味が良い」という評価と「中身はうすい紫」という声の両方に出会います。矛盾して見えるこの二つは、実は同じ資料のなかで説明がつきます。味・食感の特徴とあわせて整理します。
食味は良いが、栽培のしやすさには課題も
この品種は食味の面で評価されてきました。育成・普及の記録でも、宮農36号に代わって広がった理由として食味と収量が挙げられています。
一方、栽培のしやすさについては、沖縄県内の生産者が「植え付けから収穫までの期間が長く、収量も多くない」と紹介しています。ただし比較の条件が示されていないため、育成・普及の記録と同じ重みでは扱えず、本記事では参考情報として位置づけます。
記録は「濃紫」、現場では「うすい紫」——退色現象
色について、資料と現場の声が食い違う理由も記録に残されています。
同誌131号は、1983年の採取当時は肉色が他のどの品種よりも濃い紫だったとしたうえで、30年余りを経て肉色の退色現象が顕著になったと述べています。白い紫斑・淡い紫・白といった個体が現れ、濃い紫を呈するものが減っているとのことです。原因は明らかになっておらず、濃い紫を維持することが課題だとされています。
つまり「濃紫」は採取当時の記録、「うすい紫」は近年の現場の実感であり、どちらも誤りではないと考えられます。
成分の一次データが示す位置
成分を実測した資料としては、沖縄県工業技術センターの研究報告書 第8号(2006年)があります。
同報告書では、生鮮物100gあたりのショ糖が2.51g、アントシアニンが50.1mgと報告されています。同時に測定された沖夢紫と比べるとアントシアニンは少なく、ポリフェノールはこちらが多いという結果でした。なお、ショ糖は甘さを構成する成分のひとつにすぎず、いずれも色や成分の測定値であって、体への働きを示すものではありません。
ちゅら恋紅・沖夢紫などの親として
この品種がいまも語られる最大の理由は、沖縄を支える紅芋の多くが、備瀬を親としている点にあります。しかもそのきっかけは、計画された交配ではなく畑で偶然に起きた出来事でした。
1996年、備瀬の畑で起きた自然交雑
沖夢紫とちゅら恋紅の誕生は、読谷村の一枚の畑から始まりました。
同誌131号によると、1996年、読谷村の約20アールの備瀬畑の一角に、V4が30本ほど試し植えされていました。両品種とも花がよく咲くため、周辺の株には自然交雑で多くの実がついていたといいます。その種子をまいて選抜試験を行った結果、備瀬から採った種子より2系統が選ばれました。これが後の沖夢紫とちゅら恋紅です。
人工的に掛け合わせたのではなく、自然交雑でできた種子からの選抜である点が、この二品種の来歴のポイントです。ただし農林水産省の品種登録情報は、沖夢紫を「備瀬」と「V4」の自然交雑実生から選抜したと記すのみで、どちらを種子親とするかは示していません。本記事では備瀬を「親の一方」として扱います。
基腐病に強い新しい品種の母にも
備瀬を親とする品種は、20年前の二品種だけではありません。近年の2品種は、資料に母親として明記されています。
農研機構が2023年に発表した加工原料用の新品種「おぼろ紅」も、在来品種の備瀬を母とした自然交雑種子から選抜されたものです。沖縄では2018年にサツマイモ基腐病(もとぐされびょう)が国内で初めて確認され、主力のちゅら恋紅が被害を受けてきました。おぼろ紅はこの病気により強い抵抗性を示すと報告されています。また農林水産省の資料には、同じく備瀬を母とする「ニライむらさき」も出願中の品種として掲載されています。いずれも同資料では、母親欄に「備瀬」、父親欄に「自然交雑」と記されています。
いま備瀬はどれくらい作られている?
かつて県内の紅芋栽培の中心でしたが、いまは主役が交代しています。とはいえ栽培が絶えたわけではありません。公表データで確認します。
県内の作付割合と作付面積
現在の位置づけは、数字で見るとはっきりします。沖縄県糖業農産課の調査によれば、2023年産の品種別作付割合は、ちゅら恋紅51%、沖夢紫18%、備瀬5%でした(『いも類振興情報』162号)。この割合の分母は紅芋だけではなく、沖縄県内のかんしょ全体の作付面積です。実際、農林水産省「かんしょ品種の普及状況」の令和5年産(概算値)でも、沖縄県計188.0haに対しちゅら恋紅96.3ha・沖夢紫33.9ha・備瀬9.4haで、この割合と一致します。同じ資料の推移表では、平成12年産に150haあったものが段階的に減ってきたことも確認できます。
直売所で見かけたら・持ち出しの注意
いまも県内の産地で栽培が続き、直売所などで見かけることもあると紹介されています。
ただし、沖縄県から生のいもや苗を県外へ持ち出すことは、植物防疫法によって原則として規制されています。所定の消毒処理を受けたものや加工品には例外があります。詳細は沖縄の紅芋と県外への持ち出し規制の記事をご覧ください。
備瀬についてよくある質問
在来品種であるため、登録品種とは扱いが異なる部分があります。よく見かける疑問にお答えします。
Q1. 備瀬は登録品種ですか?
農研機構は「沖縄県で古くから栽培されている在来品種」と説明しています。農林水産省の資料でも、品種別作付面積の推移表では「在来品種」に分類され、登録番号が載る「主要品種の特性表」には掲載されていません。育成者権にもとづく増殖・利用の制限がある登録品種とは扱いが異なります。なお、これは県外への持ち出し規制とは別の制度です。
Q2. 観光地の「備瀬のフクギ並木」と関係はありますか?
同じ本部町備瀬地区の地名が由来という点でつながっています。品種名は採取地から付けられたもので、並木との直接の関係はありません。
Q3. ちゅら恋紅・沖夢紫とはどう違いますか?
ちゅら恋紅と沖夢紫は、備瀬とV4の自然交雑から生まれた登録品種です。備瀬は親にあたる在来品種で、皮が白い点が見た目の違いです。品種ごとの色や用途の違いは紫芋の品種一覧で比較しています。
Q4. 本土で買えますか?
生のいもが県外へ流通することは基本的にありません。加工品であれば県外でも手に入ります。
まとめ
最後に、備瀬という在来の紅芋の要点を整理します。
本部町備瀬地区で採られた在来のさつまいもが、地名をそのまま品種名として広まったのが備瀬です。白い皮と濃い紫の中身を持ち、宮農36号に代わる2代目の「読谷紅いも」として定着し、1997年には沖縄県の奨励品種となりました。
いまの作付割合は5%ほどですが、ちゅら恋紅や沖夢紫、近年育成されたおぼろ紅・ニライむらさきなど、沖縄の紅芋の一部はこの在来種を親として生まれました。一方で、初代の読谷紅いもだった宮農36号のように、備瀬とは別系統の紅芋もあります。近年は肉色の退色が課題とされ、資料上の「濃紫」と現場の「うすい紫」の食い違いも、この現象から説明できます。紫芋全体の広がりを知りたい方は、あわせて紫芋とはもご覧ください。
ふくむらさきどっとこむ
